記念すべき第20回目のシャイニングハーツパーティを迎えました。このコンサートは、障がいのある子が声をあげたり動いてしまったりすることを気にせず、観てもらえるようにという目的で、途中からは全ての子どもたちが家族とみんなで聴けるようにという趣旨で、ほぼ年に一回ずつ継続してきました。元々は、重複障がいの一人息子が幼かった頃、「音楽が大好きだけれど生の楽器の音を聞いたことがないんだよね」、と話していたら、当時の高校生の教え子たちが「僕たちがコンサート開きますよ」と言ってくれたのがきっかけです。今や彼らも37歳になり、立派なメシが食える社会人であり、良き家庭人になっています。
思えば、第一回を文化センター小ホールで始めた時、花まるバンドの大塚君(私の熊本高校の同級生)が、客席に降りてきてアコーディオンを弾いてくれた姿、2歳だった息子が見上げていた姿を、よく覚えています。おかげさまで、その息子も23歳になりました。毎年この欄に、障がいを持つ子の親としての「現在地」を記してきたなと思い出します。
この一年間には大きな出来事がありました。一つは、居場所作り・リハビリ目的でずっと継続していた絵画教室で描いた絵を、Tシャツにしたいという若者が登場し、売り出したところ、夢のようなトップバイヤーさんの目に留まって、雑誌PENなどにも紹介され、たちまち売り切れたこと。重度の重複障がいを持つ息子が、もしかしたら実力で納税できるかもしれない夢を追いかけて、ノットイコールというブランドで、今後も作り続けていきたいと思います。
このことで思うのは、障がいの子を持った若い親御さんたちへのアドバイスを、あれこれ偉そうに書いてきた私こそ、ある種の偏見に囚われていたなということです。以前も書きましたが、津久井やまゆり園の事件が起きたときに、何もできないで負担ばかりかける障がい者は価値がないとして事件を起こした犯人に対して、「パートナー力」という文章で反論しました。息子のような子は「個人として偏差値をつける」ような評価基準だと、確かにそう見えるかもしれないが、私にとってそうだったように「周りにいる人を真摯にし、日々心を整えてくれる存在」であり、「精一杯頑張らせてくれる存在」。「二人でひとつ」という価値基準で見れば、もの凄く力があるんだぞ、というものでした。
それで答え切ったつもりでした。主張として筋は通っていますが、しかし結局のところ、「うちの子は、一人では仕事もできないし、社会に価値あるものを生み出せない」という見方を前提に考えてきたということに、他なりません。
しかし、まさかのシャツの完売という現実は、息子も立派に仕事が成立する可能性が、確かにあるんだなという、目から鱗の事実を突きつけてきました。「うちの子が普通に働けることはない」という、最近の流行りの言葉で言うとバイアス(思い込み)が、自分の中に堅牢なお城のように存在したのです。ぜひ、みなさんは、そういう証明の無い思い込みに束縛されず、我が子のために、あらゆる可能性を追求してあげてほしいな、と思います。
昨年大きかったもう一つは、そのTシャツづくりを進めてくれた青年たちと、息子が親の付き添い無しで一泊旅行に行けたこと。障がいへの偏見が1ミリも無いピュアな、そして療法士や介護士の資格を持っているわけでもない普通の青年たちなのですが、食事や入浴はもちろん、服薬や、浣腸や排便、着替え・オムツ交換まで、嬉々としてやってくれました。R君という青年の手作りのキムチチャーハンも完食したそうです。考えれば、私だって、成人後は、親との旅行よりも友人との旅の方が好きだったのですが、息子もそれはそれは、よほど楽しかったようです。帰宅後寝るまで、いつにない興奮状態で叫んでいました。これは、若者たち次第のところもありますが、親亡き時代が確実に来ることを考えて、今後も継続していけると良いなと願っています。
ちなみに、これができた息子側の理由は、二つあると思っています。一つは、息子が、小1から何度も何度も、知らない子とのお泊り旅行を、親付きとはいえ繰り返してきたことです。数十回も経験を積み重ねたことで、他人との寝泊りが平気どころか、心から楽しいと感じてきたことが、今回の男旅への肯定と意欲につながっていると感じます。
また二つ目の理由は、何度かの手術で入院経験が豊富だったことです。特に小2の股関節の時は、術後のトラブルもあって、二度続けての長期入院となりました。数か月に及び、二回目にまた病院に戻るとなったときは、一生でただ一回というくらいのギャン泣きでNOの気持ちを示す姿が不憫で、心を痛めたことを覚えています。ちなみに、足の開いたギプスつきのまま、私の胸に乗せてうつぶせに寝かせたら、ようやくスヤスヤと眠ったのでした。
ここで言えるのは、親子ともども辛かった入院でしたが、それ以前と比べて、心のタフさというか良い意味の図太さが大きく育ったのでした。前は、寝ている夜に私が帰宅して、コンビニの袋の音をカサリと鳴らすだけで起きていたのに、退院後は、電気をつけようがオムツを変えようがガーガー寝る子に変わりました。病院で、寂しい夜を過ごしたんだろうとも想像しますが、人間万事塞翁が馬。その後、様々な負の局面でも、めげない子になったと感じます。まだ幼いお子さんをお持ちの親御さん、これから色々起こるとは思いますが、辛い経験の中にたくましくなるチャンスもあるということは、伝えたいと思います。
さて、第20回をもって、これまでの形式は一応の締めとなります。今回はもちろん、ここまで支えてきてくださったボランティアやスタッフの皆様、出演してくださった皆様、後援や広報などで支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。今後は、新生シャイニングハーツパーティとして、次世代の若者たちによって、彼らの感性と哲学に基づき、素敵なコンサートを創造していってくれればなと願っています。
ありがとうございました。さあ、音楽を楽しみましょう。
髙濱正伸
※パートナー力:高濱コラム2016年9月https://www.hanamarugroup.jp/column/2016/2497/